2009年12月7日月曜日

ふるま家“勝手に”後援隊「つぼみ会」参上!

話が少々前後しますが、秋晴れの広がる先月上旬、母の病院勤務時代の元同僚グループ「つぼみ会」(別称/自称「ふるま家勝手に後援隊!」)の皆さんが1泊2日で手伝いに来てくださいました。つぼみ会がふるま家に来るのは、今年でもう4回目ぐらいになるでしょうか。今回お願いしたのは柿とサツマイモの収穫、たまねぎの苗の植え付け、花壇作り。皆さん、手足以上に口もよく動かしながらワイワイと手際よく作業を進めてくださいました。

昼飯は、お料理上手な看護士長さんの手作りカレーとふるま家で取れた新米のおにぎり。夕飯も畑で取れた青梗菜炒めと焼き芋、新米おにぎり。シンプルで飾らなくても、「取れたての食材」を「肉体労働」の後に「みんなで食べる」のは、何よりも美味しいものですね。




  

(あ、あと差し入れで英虞湾の天然の岩牡蠣もあったことを忘れてた。あれは、どう考えても贅沢品だったな・・・。)

2009年11月25日水曜日

お知らせ(しばらく留守にします)

突然の報告ですが、以前から派遣登録していた「国境なき医師団」(MSF: Medicines Sans Frontiers)の派遣先が急遽決まり、来月下旬からアフリカ・マラウィへ半年間いってくることになりました。

今回派遣されるのは、MSFフランスが10年ほど続けているエイズ撲滅プログラム。私は、そこでロジスティシャン/アドミニストレーターとして後方支援(基本的に医療系以外の仕事をすべてが担当)してきます。家や畑のこともあり、またすでに起業に向けて準備を始めてしまっていたので一瞬どうしようか迷ったのですが、「身軽で体力のあるうち是非行ってこい」という両親の後押しもあり行くことを決意をしました。帰国は来年夏頃(6月下旬か7月上旬)なります。

初めて訪れるアフリカの大地。国際医療チームの一員として働くことでさらに視野や人脈を広げ、また以前から関心のあった国際人道支援活動が今後の自分のキャリア/ライフワークになりうるのか見極めてこようと思います。(2本の足で、4つの草蛙:「ふるま家」「国境なき医師団派遣」「翻訳業」「農業」をはくことは可能なのか?!)

ふるま家事業計画もそんなわけで半年ほど全てがずれ込むことになりました。良く言えば、半年間また色々と考える時間もできたので、家のデザインや設計ももう少し時間を掛けて考えることにします。家主不在中でも、現地では家守のひげジイが畑や木工に勤しんでいると思いますので、お近くにお越しの際はぜひお立ち寄りください。

なお、アフリカ・マラウィ便りは「タコボウズ雑感ブログ」上で更新していくことに致しますので、またこちらも訪ねてやってください。

ふるま家 
家主

2009年11月17日火曜日

「ひげジイ工房」の作品をちょこっと公開・・・

ふるま家事業に関して、家主以上に楽しんでいる(ように見える)のが、ひげジイこと、家主の父。齢70歳。2003年に定年退官してからここ5〜6年はラオス教育支援するNPO活動で日本・ラオス間を行ったり来たりする生活を送ってますが、今では日本にいる間は暇を見つけてはふるま家で農作業に勤しみ、趣味の木工技術を活かしてせっせと看板やら陶板やら色々作ってくれています。

先日、ふるま家の顔とも言える立派な看板が仕上がったので、開業に先駆けて公開!

 

(木材は玄関に飾ってあった置物の台に使用されていたものを再利用したものです。)

次の作品は、樹齢300年の銀木犀の幹を使用したテーブル。真ん中がちょうど空洞になっているので、中に生け花を挿すこともできます。上から中が覗けるように、テーブル板は特注で厚さ2cmのアクリル板が作られました。



母屋の内装・外装の意匠をこれからデザイナーさんの知恵を拝借しながら練っていくことになりますが、ひげジイ工房の作品が似合うような造りになるよう注意しなければ・・・。

実りの秋

夏の間に父が植えてくれた青梗菜と九条葱が収穫の時期を迎えています。農薬を使わずにいるので菜っ葉ものはどうしても虫食い状態になってしまうものもありますが、それでも収穫したての野菜の味はまた格別です。



実家のご近所さんにもせっせとお裾分けしてますが、それでもまだ畑に沢山残ってます。母屋の方はまだ皆さんを温かくお迎えするにはほど遠い状況ですが、今なら野菜の手土産をお持ち帰りいただけること間違いなし! 
紅葉の秋、京都・福知山までちょっと足を延ばしてみませんか。

2009年11月10日火曜日

家は工事中、で、家主は・・・?

ふるま家はご覧の通り大がかりな改修工事中、でその間家主は何しているの?という皆さまからたくさんお寄せいただく疑問(なーんて、特にないけれど)にお応えすべく、最近の活動をご報告!

家の工事を工務店さんにお任せしているからといって家主は暇にしているわけでは決してありません。ボランティア派遣によるアフリカ行きを暫く先まで延期することを決めてからは、ふるま家起業に向けて東奔西走する毎日。その一つが同業他社の視察です。

そのうちの一つ、綾部吉水さ んはふるま家から車で約45分、綾部温泉近くにある茅葺古民家が舞台の旅館です。女将さんは、すでに銀座や京都円山公園で旅館を経営されている方なのですが、都会の人たちに豊かな自然と古民家のもつ安らぎ味わってもらい、また色々と知恵の詰まった田舎暮らしを経験してもらえたらと1年前からここでの経営も 始められました。



女性旅館経営者、しかも同地区で田舎ぐらし体験型旅館をされてられる先輩の話をお聞きできたらと先日2時間ほどお邪魔してきました。



10人ぐらいが余裕を持って座れる大きな囲炉裏のある部屋では、鉄鍋で炒った柿の葉で作ったお茶や家の前で採れた沢カニの素あげの温かいおもてなしを受け、時の経つのを忘れて話に聞き入りました。起業に向けて動き出してから数週間、本当に自分でやっていけるのか何かと不安を感じなくはないですが、こうして地に足をつけて実践されてられる方の話を聞くとそんな心配も払拭されます。

こうした視察のほか、ふるま家での主な仕事はこんな感じ。




これは家の基礎部分だった土の山から大きな岩を取り除き、花壇用に均しているところ。毎日体中泥だらけ、おしゃれもへったくれもない、しかもお金も稼げな い。何を苦労してまでこんなこと・・・と思われる方もいるかもしれませんが、土に触れるってやっぱり気持ちがいい! 汗をかいた後のお風呂は最高だし、なんといってもご飯(しかもそれが自分の土地で採れたものとなれば)の美味しさは格別です。憧れていた土に触れる生活に一歩近づけたことで得られる充実感は何事にも変えがたく、こうして好きなことをさせてもらえている自分の境遇にただただ感謝する毎日です。

あと嬉しいことに、農作業という肉体労働を毎日していれば、ヨー ロッパでたっぷり蓄えた腹回りもなんとなくすっきりとしてきたような気が・・・かつての都会生活ではわざわざ金を払ってまでジム通いしていた時代が今更ながら贅沢に思われます。

2009年11月7日土曜日

第一期工事、いよいよ後半戦へ

母屋の第一期工事も土台部分のコンクリートが乾き、いよいよ後半戦に入りました。ジャッキで天井を持ち上げ、柱の腐食した部分を切り取ってその周りをさらにコンク リートで固めていく作業です。ジャッキの使用はかなりの技術を要するようですが(その分費用も高くつきます)、そこはベテランの棟梁、次から次へと作業 をこなしていかれます。






柱や梁などかなり痛みの激しいところもありますが、長年家を支えてきた木をむやみやたらに捨てるべきではないという思いから、ふるま家ではこうして取り除かれた古材もできるだけ再利用していく方針です。腐食の具合によってどのように利用していくかは異なりますが、使える部分は第二期工事(家の内外装)で活用したり、家守のひげジイによって様々な木工作品に仕上がっていくことでしょう。ボロボロになった部分は、今後導入を検討している薪ストーブの燃料となってふるま家を訪れる皆さんを暖めてくれることになるのかな・・・。


2009年10月27日火曜日

秋晴れのある日、近所を散策

ふるま家から車で5分(約4キロ)ほど走った国道173号線沿いに「大原神社」(京都府指定文化財)があります。雲ひとつない澄み切った青空が広がる秋晴れのある日、父と二人でふらりと散歩してきました。

古くは仁寿2年(852年)までさかのぼると言われる長い歴史を持つその神社には、「伊邪那美命(いざなみのみこと)、天照大日霎命(あまてらすおおひるめのみこと)、月読命(つきよみのみこと)」の3つの神様が祭られています。古事記によると、伊邪那美命は万物を作った女神とされていることもあって五穀豊穣と安産の神様として長く崇められ、今でも多くの人が安産祈願に参拝にお参りに訪れているそうです。 参考資料:「ふるさと三和の文化財」、京都神社庁ウェブサイト http://www.kyoto-jinjacho.or.jp/shrine/24/040/)


訪れたときは、ちょうど茅葺の絵馬殿が、茅の吹き替え作業の真っ最中でした。






神社の前を流れる清流沿いには産屋がたっています。入り口には魔よけの鎌、中には出産時に産婦が力むために使ったと思われる縄が天井から垂れ下がっていました。ここの産屋は大正初期まで実際に使われていたそうで、臨月を迎えた妊婦はここに丸7日間篭り出産したのだとか。出産は不浄とされていたかつての時代の名残は、「大原の産屋」として今でも大切に保存されています。




神社のまわりは黄金色に実った稲穂が頭を垂れ、秋の優しい日差しと相まって何とも言えない暖かな雰囲気を醸し出しています。中途半端な郊外に生まれ育った身にも郷愁を感じさせるこんな日本の原風景、これからも大切にしていかなければなりません。(ただ、実際こういう田舎に定住するとなると色々な苦労が待ち構えているのだろうけれど。)



2009年10月17日土曜日

新米を、いただく


36年の人生において初めて、自分の田圃から収穫したお米をいただきました。

今年は代掻き、田植えから、稲刈り、脱穀まですべて地元の農業法人さんに丸投げしたため「手塩にかけて育てた米」というわけではないけれど、品種はコシヒカリ、しかも新米。これで不味いわけがない!最近日本でも食の安全について消費者の意識が高まりつつあるようですが、農薬はほとんど使われていないことは一応生産者として分かっているのでその点も安心していただけます。

自分で食べるものを自分で作る・育てる・穫る-生きていく上で最も基本であるべき事が、お金を払えば何だって手に入ってしまう現代社会に生きる私達多くの人間にとってはかなり縁遠い世界となってしまってます。(言い換えれば、大多数の人にとって食の生産は全てアウトソース化しまっていて、これはある意味非常に不安定でしかもリスクが高い。尤も、国全体で見れば日本の食糧自給率は40%と他の先進国と比較してもかなり低く、国を挙げて自給率を高める努力が必要なわけで-とまあ、私がいまさら言うまでもない話ですが。新政権になって少しは変化の兆しが見えてくるのかどうか。)

これまで何気なく口にしていた米。太陽、水、その他自然の恵みをたっぷり受けて育った銀シャリを、この日だけは一口一口感謝しながら美味しくいただきました。

ごちそうさまでした。合掌。

2009年10月16日金曜日

第一期修復工事始まる

3ヶ月もの長期間欧州で遊び呆けていた家主の帰国を待たずに、先週月曜日から母屋の基礎部分の補強工事と水道・配水管の配管工事が始まりました。今回の第一期工事は、「この家は文化財だから、ワシが死んでからもこの先少なくとも100年、いや200年は持たせなければならない」と常々話していた父の支援を受けて実現可能となったもの。両親の理解に感謝感激一塩です。

母屋を支える基礎の部分は、まず土や石などが完全に取り除かれた後、砂利、鉄筋、地中からの湿気で家が傷むことがないようプラスチックシートが敷かれ、その上に全面的に厚さ10cm以上のコンクリートが打たれました。




コンクリート打ち終了後、施工主である父が母屋の一角に名と日付を刻みました。


100年後、父も私たちもこの世からは確実に消え去っていますが、今後誰がこの家を継ぎ、この署名を目にすることになるのでしょう。自分が存在しない、そんな先の未来に思いを馳せることもまた楽しいものです。

2009年10月15日木曜日

新ブログ、開設のご挨拶

日本の田舎で貨幣経済から少しでも独立した自給自足に近い暮らしをしたいというかねてからの夢を実現させる一歩として、今年4月、京都府福知山市三和町上川合に茅葺屋根の古民家(通称「ふるま家*」)を購入しました。150年以上の時と歴史を刻み、数々の悲喜交々、人間模様を見守ってきたであろう古民家は、悠久の時の流れを感じさせる、何を思わずともふと手を合わせたくなるようなそんな雰囲気に満ち溢れています。

素朴で美しい京の里山と、そんな心落ち着かせる空間を世界中の人に紹介し、共に時間を共有したいという思いから、来年から農家民宿を開業する決意に至りました。(開業目標日は未定)

日本では住宅の寿命というと長くて30~40年、とかく新しいものが好まれる傾向にあるように思いますが、一方で古い民家を再生して活用していく動きは静かなブームになっているようですね。私が今回購入した古民家も、修復して次の世代に引き継いでゆくべき大切な文化財でもあり、再生の過程を記録として残していくことはそれなりに意義のあることかと思います。そういうわけで、このブログでは古民家再生の様子と農家民宿開業に至るまでの、これから直面していくであろう紆余曲折を写真付きで記録として(田舎暮らしを始めていく中での雑感、由無し事なども合わせて)綴っていこうと思います。

宜しくお願い致します。

(*「ふるま家」という“家”号は、1年半前、世界旅行中に滞在したネパールで現地の人からもらったネパール名前が由来です。)